魅力は味や栄養価だけじゃない。唯一無二の広島のソウルフード。
子どものおやつが、戦後の食糧難の救世主に。
広島お好み焼きのルーツは、大正時代あたりに子どものおやつとして親しまれていた「一銭洋食」。小麦粉を水で薄く溶いて焼き、ネギや削り節などを乗せ、ソースを塗って、駄菓子屋さんなどで売られていたものです。現代の方には「それで洋食?」と思われるかもしれませんが、当時はソース味がついていれば何でも洋食と言われていた時代だったんです。
1945年(昭和20年)8月の原爆投下により、広島の街は「以後70年、草木も生えない」と言われる焼け野原になりました。食糧難の中、アメリカからの支援物資として小麦粉(メリケン粉)が支給されました。そして、焼け跡に転がっていたのは持ち主不明の鉄板……。この小麦粉と鉄板が出会い、再び「一銭洋食」が、今度はおやつではなく空腹を満たすものとして作られるようになりました。「広島お好み焼き」の始まりです。
戦争でご主人が帰ってこない女性が、女手で家族を養うために、家の軒下に鉄板を置いてお好み焼き屋さんを開業した例も多くありました。戦地から復員して来た夫や息子が見つけやすいように、屋号には「○○ちゃん」と、家族の愛称をつけて……。いまでも広島のお好み焼き屋さんに「○○ちゃん」という店名がよく見られるのは、その名残だと言われています。
手間のかかる焼き方にこそ、うまさの秘密あり。
生地を薄く伸ばし、その上に具材を乗せて重ね焼きする独特の調理法が広島お好み焼きの特徴。「そんな面倒臭いことをしなくても、最初から混ぜればいいのに」と思われるかもしれませんが、この手間がかかる焼き方だからこそ、それぞれの具材の味と食感を最後まで感じることができます。特にキャベツは、生地に蓋をされて蒸し焼き状態になることで、一層甘みが出るのです。
限られた食材しか手に入らない戦後。「一つひとつは決して高級ではない食材で、どうすれば食べる人を満足させられるか?」知恵を絞った結果です。貴重なエネルギー源になる炭水化物や体を整える野菜を、美味しく摂取できるお好み焼きは、どれほど人々の心身に活力を与えてきたことでしょう。また、鉄板を挟んで、焼き立てのお好み焼きにヘラを入れながら、店主や家族とお喋りすること。その楽しい時間も、日々の辛さを癒し、生きる活力にもなったはずです。
焼け野原から立ち上がった人々を支え、人々とともに、街とともに成長してきた広島お好み焼きは、まさに広島のソウルフード。戦後の食糧難は歴史の教科書の中の話となり、いまやお金さえ出せば、世界各国の珍味や高級料理を味わうことも難しくない時代になりました。しかし、広島お好み焼きの魅力と存在感は、この先も色褪せることはないでしょう。